臨済宗の名僧


一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

1394〜1481年。
室町時代、京都に生まれ、13歳で建仁寺の募喆龍攀(ぼてつりゅうそう)に詩文を学ぶ。17歳で謙翁宗為の門下となる。22歳で華叟宗曇(かそうそうどん)に参禅し、27歳で印可を受ける。形式、権威を嫌い、肉食女犯(にくしょくにょぼん)を公然と行い、京や堺の人々から慕われる。1474(文明6)年、勅命により大徳寺住職となるが住山せず。京都酬恩庵にて88歳で示寂。

 

沢庵宗彭(たくあんそうほう)

1573〜1645年。
天応大現国師。江戸時代、但馬国(たじまのくに)(兵庫県)で生まれ、14歳で近在の宗鏡寺(すきょうじ)で出家。堺の南宗寺の一凍紹滴(いっとうじょうてき)から印可を得る。南宗寺、京都大徳寺住職。48歳で宗鏡寺に隠棲。紫衣事件(しえじけん)で幕府に抗議し出羽国(でわのくに)(山形県)に流罪となる。許されたのち、将軍徳川家光や後水尾(ごみずのお)天皇の帰依を受ける。東海寺開山。73歳で示寂。

 

白隠慧鶴(はくいんえかく)

1685〜1768年。
神機独妙禅師(しんきどくみょうぜんじ)。正宗国師。江戸時代、駿河国(するがのくに)(静岡県)に生まれる。15歳で松蔭寺の単嶺(たんれい)のもとで出家。24歳で英巖寺(えいがんじ)の性徹(しょうてつ)のもとで大悟する。正受老人のもとで猛修行。26歳で神経衰弱となるも、白幽から教わった内観法で克服。34歳で妙心寺第1座となる。50代以降は各寺で講義。また、公案体系をを完成させる。松蔭寺にて84歳で示寂。

 

 

 

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