臨済宗の開祖


臨済宗の開祖は、明庵栄西という僧侶です。

栄西は、備中国(岡山県)吉備津宮の神官の子として生まれました。

11歳で天台教学を学び、14歳で比叡山に入りました。

28歳で宋に渡り、天台の経典を持ちかえったのですが、宋で知った禅をきわめようと47歳で再び入宋しました。そこで臨済宗黄竜派(おうりゅうは)の虚庵懐敝(きあんえしょう)に師事し、5年目に印可を得て帰国しました。

帰国後、博多にわが国最初の禅寺である聖福寺(しょうふくじ)を開きましたが、すでに日本で大きな勢力だった天台宗僧徒の激しい非難を浴びました。日本達磨宗の能忍とともに朝廷から禅停止の命を受けることにさえなりました。

しかし栄西は「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」を書いて「自分の禅は最澄が伝えたものと同じで、比叡山仏教を再興するものである」と主張して圧力に抵抗しました。栄西は、一生を天台密教の僧として終えますが、その一方で著書の最後には必ず禅は再興すると予言していたため、日本臨済宗の開祖と仰がれます。

栄西の読みについては、臨済宗では明庵栄西(みんなんようさい)と読むのが正式です。

 

 

 

 

 

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