鎌倉幕府と臨済宗の関係
天台宗からの激しい弾圧を受けた栄西は鎌倉に下りました。
比叡山は、元々新興の武家勢力とは対立しやすい関係にあり、さらに、戒律を重んじる栄西の教えは、京都の公家文化に対抗しようとする武家政権に受け入れられやすかったのです。
鎌倉に下った栄西は、源頼朝の妻政子や二代将軍頼家の援助で、その鎌倉に寿福寺を開創。
栄西は、三代将軍実朝に良薬として茶をすすめ、その効能を説いた「喫茶養生記」を献上する。
その後、鎌倉幕府の庇護を受けて、京都に建仁寺を開創しました。
なお、寿福寺や建仁寺を天台密教と禅の兼修道場としたのは比叡山への配慮からであった。