臨済宗とは

明菴栄西

鎌倉新仏教の登場

本格的に日本に仏教が普及したのは、平安時代(796〜1191年)に唐で仏教を学んできた最澄が開いた天台宗と空海が開いた真言宗です。これらの仏教が、日本仏教の礎となりました。

その後、鎌倉時代(1192〜1333年)になると、日本独自の仏教宗派が成立します。比叡山で修行した僧侶達が、そこから離脱して、新しい教えを広めていきました。代表的なものとして、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、浄土真宗、日蓮宗などがあります。

その中で臨済宗は禅宗の教えのもとに広がりました。

臨済宗 円覚寺派

円覚寺は、山号を瑞鹿山と称し、正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺という。
鎌倉五山大二位に列せられる。
弘安5年(1282年)鎌倉幕府執権北条時宗が元寇で亡くなった人々を弔うために
中国僧無学祖元を招いて創建した。
無学祖元は、嘉禄2年(1226年)から弘安9年9月3日(1286年9月22日)。60歳
中国浙江省出身。仏光国師・円満常照国師。
墓所は建長寺にある。

臨済宗の特徴

本尊

禅宗では特定の本尊を立てません。

それは、お釈迦様の悟りの体験を自己の中に自覚すること、「人間は生まれながらにして仏性をもち、本来みな清浄である」という教えを重視しているためです。

ですので、本尊にこだわりは無く、仏殿正面には、釈迦如来像、大日如来、薬師如来、観音菩薩、文殊菩薩などを並べて、祭っているところもある。また、その脇には禅宗の始祖達磨大師像、開山祖師の像などが祭られています。

経典

教典をよりどころとしている他の宗派とは違い、禅宗では、お釈迦様の悟りの体験を重視しているので、特定の経典へのこだわりはありません。

その悟りの体験は、文字や言葉では表現しきれないもので、言葉や文字にとらわれるなという達磨大使の精神は「不立文字(ふりゅうもんじ)」「経外別伝(きょうげべつでん)」「直指人心(じきしにんしん)」「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」という四言四区にあらわされ、禅の指標となっています。

ただ、古くからの慣習として「般若心経」などの観世音菩薩普門品などの経典、また公案に使われる祖師一代の語録なども読まれます。

寒光寺では座禅の終わりに、「摩訶般若波羅蜜多心経」「座禅和讃」「四弘誓願文」を唱えています。

臨済宗と曹洞宗の違い

臨済宗・・・看話禅・公案禅

修行して、本来の自己(仏心)に目覚めることが悟り

曹洞宗・・・黙照禅・生活禅

修行の結果、仏になるのではなく、修行することが仏の行

禅宗の代表的な宗派である、臨済宗と曹洞宗ですが、その違いを簡単に述べるなら、どちらも、その修行の方法は禅ですが、しかし、座禅に対する心構えが全く違います。臨済宗は座禅を悟りに達する手段を考えていて、その最中、公案を思索し工夫する〈公案禅〉ですが、曹洞宗は座禅に目的も意味も求めずただ黙々と壁に向かって座禅をする〈只管打座(しかんたざ)〉を修行とします。

臨済宗の「看話禅(かんなぜん)」に対して曹洞宗は「黙照禅(もくしょうぜん)」といいます。

また、曹洞宗は一般民衆の間に広まりましたが、臨済宗は鎌倉幕府の庇護を受けたこともあり、上級武士層に広まりました。そこで、「臨済将軍、曹洞土民」といわれました。

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